同じ景色でも、見え方は人それぞれ
読者の皆さんは、自分で鏡の中をのぞくといつもの自分がいるのに、家族には、太ったあるいは痩せたと言われて初めて気づく、そんな経験はありませんか?あるいは、毎日同じ景色の中を歩いているはずなのに、ふとした時にその風景がいつもと異なって見えたり、別のもののように感じられたりしたことはありませんか?

今回はそんな「見る」という感覚について考えてみたいと思います。
生まれたばかりの赤ちゃんの視覚は、聴覚・味覚・触覚などの他の感覚に比べて、発達が最も遅いと言われています。それは、脳の成長と深く関係していて、さまざまな経験を通して徐々に発達していくためです。
視覚から入る情報は、まず呼吸や心拍など生命活動に必要な働きや、感情や記憶をつかさどる脳の中枢を通ってから「視覚野」と呼ばれる場所に到達し、そこでようやく視覚情報として処理されます。たとえば、目で家具を見てその形や色が分かったりするのはこうした脳の働きによるものです。もちろん、形や色の認知だけではなく、どのくらいの距離で端までたどり着けるかを判断したり、本を読んだり文章を書いたりするときには、脳はより意識的に情報を知覚し、理解する働きをします。
また、脳は「情動(強い感情の動き)」によって動かされているとも言われています。この情動による影響とはたとえば「丸いかたちのもの」を見たとき、私たちはそれを単に「丸い」と認識するだけではなく、そこに自分の経験や感情が加わることで「丸い桃」、さらには「丸くてピンク色なので、熟していて食べごろの桃」といったように、より豊かで具体的なイメージとして捉えるようになります。
私たちは何かを観察するとき、実に80%以上の情報を「目」から得ようとしています。しかし、目に入った情報はすぐに「見えているもの」になるのではなく、脳で処理されたうえで「見えている」と認識されています。つまり、私たちが見ているものは、脳が「見たい」と判断した情報に過ぎず、客観的に世界を見ているつもりでも、実は自分の感情や経験に左右された“見え方”をしているのです。
私たちは同じものを見ているようでいて、実は一人ひとり違う世界を見ているのです。
「緊張によって見えるものが変わる」
想像してみてください。あなたが毎日歩いている坂道があります。
さて、あなたにはどのような風景が見えているでしょうか?もしあなたが疲れていたり、よく眠れていなかったり、何か強い緊張を感じていたら、その坂道は「今日は登りたくないな…」と思うほど急な傾斜の坂道に見えるかもしれません。しかし、もしこのあとに楽しみな予定が待っていたらどうでしょう?同じ坂道でも疲れている時ほど大変な傾斜には見えないかもしれません。
緊張は、体の感覚に大きな影響を与えるということを、以前にもお伝えしました。
現代では、ストレスという緊張をどうやって解消するかが大きな課題ですが、そもそも「自分の体の感覚とうまくつながらないないこと」が、ストレスをためやすくしている原因のひとつでもあるのです。
私たちは今、パソコンやスマートフォンの前に座って過ごす時間が増えています。その結果、「目」ばかりを酷使し、他の感覚を使う機会が少なくなってしまっています。こうした感覚の偏った使い方は、頭痛や睡眠不足を引き起こす原因にもなります。さらに、これまでの記事でもお伝えしてきたように、長い時間、無意識に続けてしまう緊張した姿勢や体の使い方が、心のストレスを引き起こすことも少なくありません。
そして、その緊張は「見え方」にも影響を与えます。たとえば、誰かが目の前を通っても見えていなかったりすることがあります。本来なら普通に見えているはずのものが、緊張によって異なって見えたり、見落としてしまったりするのです。
「姿勢が変わると見えるものがかわる」
「自分の体の感覚とうまくつながる」ために姿勢を見直してみると、さまざまな体の感覚が育っていきます。
たとえば、猫背で本を読んでいる人が背中を起こし姿勢を整えると、腰や首の緊張がゆるみ、手の疲れも減って、より楽に読書ができるようになります。また、食事のときに首を前に突き出すのをやめてみると、喉がラクになり、味や香りもより感じやすくなります。このように、姿勢が整うと、私たちが本来持っている体の機能を自然に活かせるようになるのです。
あなたは外で携帯電話を見ているとき、どのような姿勢をしていますか?もし、頭を前に突き出し、首に力が入ったまま画面を見ていたら、まずはその頭の位置を戻し、首の緊張をゆるめてみましょう。 そして、画面をじっと見つめるのをやめて、目の力もふんわりとゆるめてみてください。「見る」のではなく、自然に視界に色や形が入ってくるような「見える」感覚を意識してみましょう。
するとどうでしょうか?
それまで目に入ってこなかった、携帯の向こうに咲く色とりどりの花や、木々の葉の揺れ、空の青さや雲のかたちが、ふっと目に飛び込んでくるかもしれません。さらに意識を広げていくと、遠くの山の稜線や鳥の声、吹き抜ける風の音、土のにおい、まるで景色全体が、自分のまわりに広がっていることに気づくはずです。ほんの少し姿勢と視点を変えるだけで、世界はこんなにも豊かに感じられるのです。
体をうまく使えるようになると、無意識の緊張が少しずつほどけていきます。すると心も軽くなり、ストレスがやわらいでいきます。そうした変化が起こると、たとえ同じ場所にいても、見える世界がまるで異なって見えるようになってくるのです。
執筆 岸本眞純 全米アレクサンダーテクニック講師
監修 瓜阪美穂 理学療法博士
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